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日本史 [寝殿造]


大社造神明造八幡造寝殿造書院造数寄屋造近代建築現代建築

原始住居仏教建築城郭建築民家


寝殿造

◆平安時代の貴族住宅の形式。中央に南面して寝殿を建て、その左右背後に対屋を設け、寝殿と対屋は廊(渡殿)で連絡し、寝殿の南庭を隔てて池を作り中島を築き、池に臨んで釣殿を設ける。邸の四方に築垣を設け、東西に門を開く。南庭と門との間に中門を設けて出入の用に供する。寝殿・対屋は周囲に蔀戸を釣り、妻戸を設け、室内は板敷とし、簾・壁代・几帳・帳台などを用いた。






●京都御所
 日本の伝統的貴族住宅である寝殿造りの基本形が見られる
 京都御所は 1331年(元弘1)光厳天皇が里内裏であった土御門東洞院殿を皇居と定めた。幾多の焼失再建の後 1855年(安政2)に再興された


●厳島神社
 本殿は繊細かつ華麗な切妻両流造りで、正面には緑青塗りの引き違いの菱形の格子戸がはめられ、高雅な気品を漂わせています




  写真集


●蔀戸 (しとみど)
 蔀戸は、細かく格子を組んで裏側に板を張り、外または内側に押し上げて開く水平軸の板戸
 開いたときは金具で止めていた
 写真は京都御所の紫宸殿の蔀戸で、寝殿造りの特徴である丸柱になっています


●御帳台 (みちょうだい)
 「西アジア風天蓋付きベット」という感じでしょうか
 天井は、障子が貼ってありました

 風俗博物館より


●塗篭 (ぬりごめ)
 塗り壁又は、板壁で、寝室や納戸として利用

 風俗博物館より
 寝室というのはホンマはそういうことになってるだけでほとんど最初から物入れ納屋として使われているかもしれないです
 ただ納屋のイメージより宝物をいれておく宝物室と言う感じがします・・・館長の井筒さんより


●屏障具・・・御簾 (みす)
 竹製ブラインド

●屏障具・・・屏風 (びょうぶ)


●屏障具・・・几帳 (きちょう)
 移動カーテン


●屏障具・・・壁代 (かべしろ)
 厚手カーテン


●収納具・・・櫃 (ひつ)


●収納具・・・箱 (はこ)


●収納具・・・厨子 (ずし)
 逗子とは本来、仏像を安置するもの
 本箱や置戸棚のように用いられ、冊子や巻物を収納した


●収納具・・・玉虫厨子 (たまむしずし)
 法隆寺に伝わる厨子
 装飾の透金の下に玉虫の羽をひくのでこの名がある


●座臥具・・・茵 (しとね)
 藁や、い草を編んだござ
 または、薄畳を芯とし布の縁をつけたもの
 形は、正方形で一辺三尺(900mm)から三尺五寸(1050mm)程度

●座臥具・・・畳 (たたみ)


●座臥具・・・円座 (えんざ)
 すげ、い草などの葉を渦巻きのように丸く編んで作った敷物
 これを織物で包み縁をつけ、その色によって位の上下の別をつけた


●座臥具・・・多足几 (たそくつくえ)


●座臥具・・・いす
 左は、曲ろくで中国形式の折りたたみいす
 鎌倉時代から室町時代にかけて中国から入ってきた僧侶の座るいす
 右は、正倉院所蔵のいす
 神座として置かれていたと推察されている

●座臥具・・・床子 (しょうじ)
 机のような形をした四脚の腰掛けで、上面がすのこになっている
 大床子、小床子、檜床子などがある
 清涼殿では、大床子を二脚並べその上に高麗縁、管円座を敷






仏教建築




●飛鳥寺
 奈良県高市郡明日香村にある、蘇我馬子が創建した日本最古の本格的寺院
 蘇我氏の氏寺で法興寺・元興(がんごう)寺・本(もと)元興寺ともいい、現在は新義真言宗の安居(あんご)院と称している
 1196年(建久7)旧地にのこった金堂と塔が落雷で焼失して以後、再建はされず、現在は1826年(文政9)建立の安居院と補修を重ねた飛鳥大仏だけがのこる


●四天王寺
 大阪市天王寺区にある和宗の本山
 荒陵(あらはか)寺ともいう
 587年(用明2)聖徳太子が物部守屋討伐に参加し、勝戦を祈願して四天王を安置したのが始まりといわれている


●法隆寺
 奈良県生駒(いこま)郡斑鳩(いかるが)町にある聖徳宗の大本山、斑鳩寺などともいう
 金堂の薬師如来光背銘には、用明天皇が病気回復をいのって造寺を発願し、天皇がなくなったあと607年に推古天皇と聖徳太子が遺志をついで建立したとする
 金堂・五重塔・講堂などの建物があるが、金堂の柱は中央がふくらみ、エンタシスというギリシアの建築様式を取り入れたもの


●法隆寺金堂壁画 阿弥陀浄土図
 白鳳時代の彩色壁画で如来を中心とする高さ3mを越える浄土図4面と菩薩を描く8面を主要部とする壁画だったが、1949年(昭和24年)の火災で損傷を受け、現在は取り外され保管されている


●薬師寺
 奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山で南都七大寺のひとつで、680年(天武9)天武天皇が皇后(のち持統天皇)の病気回復をいのって発願(ほつがん)し、建立をはじめた
 天武天皇の死後は持統天皇がひきつぎ、698年(文武2)藤原京に伽藍が完成した
 これが現在、奈良県橿原市に礎石などがのこる本(もと)薬師寺である

●東大寺(正倉院)校倉造り
 正倉院宝物倉庫は奈良時代の校倉造建築の代表例とされる
 北倉と南倉が校倉造で、中央部は板倉
 756年(天平勝宝8)、光明皇太后が聖武天皇の遺愛品を東大寺盧遮那仏に寄進したことにはじまる





●平等院
 京都府宇治市にある寺
 1052年(永承7)藤原頼通が父の道長からゆずりうけた別荘の宇治院を仏寺とし、平等院と称した
 摂関家の氏寺であるため、その後も藤原氏一門によって法華堂、経蔵など諸堂塔がたてられ、隆盛した

●中尊寺
 岩手県西磐井(にしいわい)郡平泉町にある天台宗の東北大本山
 前九年の役と後三年の役以来の敵味方の霊をとむらうため、1105年(長治2)藤原清衡が建立し、堂宇は25年(天治2)ほぼ完成した
 1337年(延元2・建武4)野火で堂塔の大半を焼失し、創建当初のものは金色堂(こんじきどう:国宝)と経蔵(重要文化財)だけである


◆大仏様 12世紀末の東大寺再建事業にともない、中国の宋からとりいれた建築様式大仏殿のような巨大建築をつくるための構造技術に特徴がある
柱を軒までとおし、貫(ぬき)を多用して柱どうしをつなぎ、柱にさしこまれた挿肘木(さしひじき)で軒をささえ、まるい断面の梁(はり)や束(つか)をもちいて、構造的な強さと能率を優先している
◆和 様 中国から伝来した、禅宗様、大仏様に対して、従来の伝統に従って作られた建築様式
◆禅宗様 鎌倉時代に禅宗とともに中国の宋から伝来し、禅宗寺院にもちいられた建築様式で、かつては唐様(からよう)ともよばれていた
同じ鎌倉時代の新様式である大仏様とちがって建築様式が確立しており、材が細く、軒の反り上がりが大きく、装飾的細部を多くもつことで従来の日本建築とはことなる表現をみせている




●東大寺南大門 (大仏様)
 東大寺大仏殿の正門であり、東西五間(約9m)、南北に三間(約5m)、高さが約25m、重層入り母屋づくりに本瓦ぶきの豪壮な総門です
 鎌倉時代に再建されたもので、門の左右に向かいあっている大きな木像は、運慶、快慶らによって完成されたもので、鎌倉時代の彫刻


●三十三間堂 (和様)
 京都市東山区にある天台宗山門派の寺院
 本堂内陣の柱間(はしらま)が33間、全長118mの南北に長い建物で、一般には三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)とよばれる
 本堂には、本尊千手観音座像(せんじゅかんのんざぞう)をはじめ1001体の千手観音が安置されている

●円覚寺 (禅宗様)
 神奈川県鎌倉市にある臨済宗円覚寺派の大本山
 北条時宗が弘安の役の直後の1282年(弘安5)に、この戦争における死者追善のために建立した
 唐様とよばれる建築様式の舎利殿は、簡素な美しさで知られる



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