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●鹿鳴館
ジョサイア・コンドル
建物は、1890年華族会館となり、後事務所など使用され、1941年に取り壊された |
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●三菱1号館
ジョサイア・コンドル
東京都千代田区
1894年 コンドルの代表的作品の一つ
丸の内市街区形成の基本をなした建物
1968年に解体された
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●ニコライ堂
ジョサイア・コンドル
幕末に来日したロシアのギリシャ正教宣教師、ニコライによって創設された教会堂
関東大震災でドームや鐘楼が崩壊し、復興再建されて現在に至る
日本では珍しいビザンチン様式の建築 |
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●岩崎邸
ジョサイア・コンドル
1896年
旧岩崎邸は三菱グループの創始者である岩崎久弥氏の私邸として建てられ建物
ベースは、17世紀の英国ジャコビアン様式、それにルネサンスやサラセン風のモチーフが採り入れられている |
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●グラバー邸
トーマス・ブレーク・グラバー
1863年
英国人トーマス・ブレーク・グラバーの遺邸で、グラバー氏が自ら設計し、日本人大工に建てさせたわが国最古の洋風木造建築
昭和14年6月より三菱重工長崎造船所の所有となっていましたが、昭和32年10月、同社創業100年祭記念事業の一つとして、長崎市に寄贈された |
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●東京駅
辰野金吾 (ジョサイア・コンドルの弟子)
辰野式」と称されるレンガに白い石の帯でアクセントをつける様式の真骨頂が東京駅舎(丸の内側)といわれている |
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●日本銀行
辰野金吾 (ジョサイア・コンドルの弟子)
東京千代田区
1896年
辰野金吾の代表作品の一つ |
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●赤坂離宮
片山東熊 (ジョサイア・コンドルの弟子)
日本で唯一の本格的な洋風宮殿である
鉄骨煉瓦石造2階建、左右対称の造りで、彫刻、絵画など、当時の名だたる芸術工芸家を総動員した、和洋折衷の内部装飾も見事である
かつての離宮は、いま、迎賓館となって外国の貴賓客を迎えている |
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●赤坂離宮 羽衣の間
「羽衣の間」という名は、謡曲の「羽衣」の景趣を描いた大絵画が、天井に描かれていることに由来します
在日外交団が国賓に謁見したり、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒を供する等に使用されています |
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●旧横浜正金銀行
妻木頼黄 (ジョサイア・コンドルの弟子)
現神奈川県立博物館 |
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●帝国ホテル
フランク・ロイド・ライト
愛知県犬山市にある明治村博物館にファサードだけ移転
関東大震災にも耐えた建物としても有名
ロービーの部分には、ティールームもあり、ライトデザインの椅子(ミッドウェイ)に座って、ゆっくりできます |
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●開成学校校舎
林忠恕
擬洋風
東京大学法理文三学部 |
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●開智学校
立石清重
擬洋風
現在、松本市立博物館付属機関として、校内には江戸時代末期から今日にいたる貴重な教育資料約7万点が保管され、その一部を展示しています |
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●同潤会アパート
大正モダニズム、アールデコ風RC造の建物
関東大震災の義援金の活用をはかるため、政府肝煎りで建てられた
この財団法人同潤会の住宅事業は、後に日本住宅公団から住宅都市整備公団になっていきました
70年近く経った現在、おしゃれな繁華街になっているところもありますが、次第に取り壊されつつあり、保存運動もおこっています |
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●白木屋
石本喜久治
白木屋は日本橋にあった江戸時代から続いた呉服屋の老舗で後に東急百貨店になる
1928年完成、外はインターナショナルデザイン様式で直線とガラスで構成されアールデコの装飾がなされていて、1957年に、坂倉順三の手によりして近代的な建物に全面改装された
1999年1月 閉店取り壊され長い歴史を閉じた |
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●日本館
坂倉準三
1937年パリ博覧会の日本館は、建築部門でグランプリを獲得し日本人の建築家が国際的な舞台で認められた初めての仕事となった
フランスから帰国後東京に事務所を開設、戦争の時代を経て、1951年、神奈川県立近代美術館設計によって活動を本格的に開始した |
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●土浦亀城自邸
土浦亀城 (1897〜1996)
1935年の建築で建築面積は18坪、木造乾式構造の採用によってコストを下げる工夫がなされ、外部は石綿スレート、内部にはテックスを採用、壁の内部には籾殻を入れて断熱効果を高めている
吹き抜けや中二階などを採用して小さいながらゆったりとした空間を感じさせ、後の最小限住宅の先駆けとなっている |
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●中廊下式住宅
明治以後、サラリーマン層の家でとられた住宅形式
家族室としての茶の間、居間、客間、座敷など各室が独立して使えるように、中央に廊下をもつ間取 |
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●2DK
日本住宅公団によって建てられた、食寝分離を考えた間取り
鉄筋コンクリート造、ステンレスの流し台を持つダイニングキッチン
庶民の憧れの住宅だった |